哲学書(?)でありながら、ページ数が少ないことと、レビューをサラッと読んだ感じ難解そうでないこと、後はKindle日替わりセールで売っていたので買ってみた。


寝ながら学べる構造主義 (文春新書)


以下、印象に残ったところとか雑に書き残していく。

について「アメリカ人から見える景色」と「アフガン人から見える景色」はまったく別のものだからだ、ということは私たちにとって、いまや「常識」です。しかし、この常識は実はたいへん「若い常識」なのです。 <中略> 国際的紛争においては、抗争している当事者のうちどちらか一方に「絶対的正義」があるはずだ、というのがその時代の「常識」であり、その「常識」はサルトルにおいても、少しも疑われてはいませんでした。

内田 樹. 寝ながら学べる構造主義 (文春新書) (Kindle の位置No.245-269). 文藝春秋. Kindle 版. より

この手の話をはじめて見聞きしたのはFF8だった気がする。カーウェイ大佐の家から暗殺場所に移動する途中でスコールが頭の中でこういうことを言っていたような…。などと思い出しながら読んだらFF8やりたくなってきた。

「とりあえず無難」とみんなが思っている意見のことを「常識」

内田樹.寝ながら学べる構造主義(文春新書)(Kindleの位置No.275).文藝春秋.Kindle版.

なるほど、なにかもめごととかあるととりあえず叩かれないとか社会的に死なない方向的に倒すよなぁと思った。特に昨今そういうの多いような。

私たちは自分では判断や行動の「自律的な主体」であると信じているけれども、実は、その自由や自律性はかなり限定的なものである、という事実を徹底的に掘り下げたことが構造主義の功績 <略> 主体性の起源は、主体の「存在」にではなく、主体の「行動」のうちにある。これが構造主義のいちばん根本にあり、すべての構造主義者に共有されている考え方です。

内田樹.寝ながら学べる構造主義(文春新書)(Kindleの位置No.287-371).文藝春秋.Kindle版.

読み終わって構造主義ってなんだったけ??と思ったものの、この記事書くに当たってメモを整理していたらちゃんと書いてあった。サンキュー自分。

「何ものであるか」というのは、「存在する」ことに軸足を置いた人間の見方であり、「何ごとをなすか」というのは「行動すること」

内田樹.寝ながら学べる構造主義(文春新書)(Kindleの位置No.310-311).文藝春秋.Kindle版.

このよく聞くやつマルクス発らしい。

法律も道徳律も裁判も法的制裁もない状態では、私有財産を確保するのは容易なことではありません。しかたなく人々は私権を保全するために、私権の一部を制限されることを受け入れました。

内田樹.寝ながら学べる構造主義(文春新書)(Kindleの位置No.577-579).文藝春秋.Kindle版.

この前の辺りに、お互いの資源を奪い合うバトルロワイアルでは強者を除いて自分の資源を保全できない。そのために国家などに契約をゆだねるという旨の記述があって「はあ、なるほど」と思った。

つまり「カタログ」としての言語観は、私たちにものの名前は人間が勝手につけたものであって、ものとその名は別に必然性があって結びついているわけではない

内田樹.寝ながら学べる構造主義(文春新書)(Kindleの位置No.719-720).文藝春秋.Kindle版.

これ、要するに「りんご」はなんで「りんご」というかは必然性がないし、理由もわからないということだと思う。どうやっても起源がわからないというのはだいぶ後に書いてあった。

語のもつ意味の厚みは言語システムごとに違う <中略> ことばがないということは概念がない <中略> ある観念があらかじめ存在し、それに名前がつくのではなく、名前がつくことで、ある観念が私たちの思考の中に存在するようになる

内田樹.寝ながら学べる構造主義(文春新書)(Kindleの位置No.788).文藝春秋.Kindle版.

TSUNAMIやSUSHIみたいなもん。なんかこれ最近別の物でも読んだか見たかしたような気がする。なんだったっけ…

「自分は本来の責任範囲を超える仕事をして、疲れたのだから、ねぎらって欲しい」という社会的なメッセージを含んでいる

内田樹.寝ながら学べる構造主義(文春新書)(Kindleの位置No.821-822).文藝春秋.Kindle版.

これは「肩が凝る」というのは体力的なものだけでなくて、他の意味合いも含んでいる。という一例ででてきたものだが「ほんまかぁ??」と思った。少なくとも自分はこの意味で言ったことも捉えたこともなかった。全体的に満足だったけれども、こんな感じで「ほんまかぁ???」と思うやつがいくつかあったのも事実。

ことばを発したあとになって、私たちは自分が何を考えていたのかを知るのです。それは口をつぐんだまま、心の中で独白する場合でも変わりません。 <中略> 「私の持論」という袋には何でも入るのですが、そこにいちばんたくさん入っているのは実は「他人の持論」です。 <中略> その反対に、純正オリジナル、出来たてほやほやの無垢の「私の意見」は、たいていの場合、同じ話がぐるぐる循環し、前後は矛盾し、主語が途中から変わるような、「話している本人も、自分が何を言っているのかよく分かっていない」

内田樹.寝ながら学べる構造主義(文春新書)(Kindleの位置No.851-870).文藝春秋.Kindle版.

ああ、これはなんとなくわかるような気がする。整理するためにブログというか文章にするのと同じだとおもう。文章に落とせない時点でまとまっていないんだろうなとはよく思う。また、自分の意見の中に自分のオリジナルのものはおそらくほぼ存在しない。自分の思考と意見は他人のものに大きく依存しているだろうし、その逆も然りだと思う。

  • 狂人は中世ヨーロッパにおいては悪魔という超自然的な力に「取り憑かれた人」と見なされていたからです。
  • いまのTVの時代劇に出てくる俳優たちの身体運用は現代人の身体運用です。昔の人はあんなふうに歩いたり走ったりしていたわけではありません
  • 残虐極まりない身体刑が狙っていたものは、受刑者個人の脆く、傷つきやすく、すぐに死んでしまう「自然的身体」ではありません

歴史の勉強にもなって面白い。

エクリチュールとは書き手がお寝れの語法の「自然」を位置づけるべき社会的な場を選び取ることである

内田樹.寝ながら学べる構造主義(文春新書)(Kindleの位置No.1435).文藝春秋.Kindle版.

使う言葉によって、その人の振る舞いも変わってしまうということ。その言葉が既にある集団で使われているものを借り受けることによって、個人の振舞も変わるということらしい。ちなみにエクリチュールではなくてずっとエリクチュールだと思っていた。

その他


書いたところまででだいたい前半50%くらい。もう少しいろいろ感想があったり、印象に残った分とかがあったけど、Kindleではどうもコピーできる回数(分量??)が出版社ごとに設定してあるらしく、それのリミットに引っかかった。書くのが手間なので略。こういう制限があるなら次回以降もう少しまとめ方を考えないといけない。

ページ数が短いとか言いながら200ページは超えてたっぽい。