今年に入ったあたりでできた近所の焼き鳥屋はすごくいい。

路地裏。とまではいかないのだけれども、もともと落ち着きめの土地の中でも大通りから少しはいったところにあるということもあってか、客が少ない。

次に十分な数のカウンター。十分な数のカウンターといえば、近くのイイ感じの蕎麦屋も当てはまる。ただ、その蕎麦屋はカウンターを2席を1ペアでくっつけていて、なんでカウンターでそういうことをするのかおひとり様からすると疑問の極みで仕方ないのものの、事実それで十分に客は入っており、そういうことだろう。以前はそういうのも気にならなかったが、最近はなぜか気になるようになってしまった。理由はよくわからない。おひとり様はカウンターですら店を選ばなければならない。大変厳しい。

やすい。焼き鳥屋はやすい。高めとか美味しいとか言っても、他ジャンルの飲食店に比べればやすい。私は最近になってようやくゆっくりと腹八分目のような食べ方ができるようになったが(ちなみに痩せ型である)それからすると非常にありがたくて、ゆっくり食べながらやすくて長居できる。そういう観点でいうと焼き鳥屋はありがたい。まあ、店からするとありがたくないだろうけど。

ここから導き出されるのは、この店は高確率で客の少ない状態でゆっくりと長居できるということだ。これは重要である。店からするとありがたくないだろうけど。

お酒。それは、おひとり様の世界を彩る魔法の飲み物。そしてその中でもクラフトビールは見た目も香りも鮮やかだ。この店はクラフトビールを複数種取り扱っている。最近思うのはですね、日本酒はどこでも取り扱ってるけど、ビールの種類が多いところは少ない。対日本酒比で。そういう点でもこのお店は良い。

そして最後に照明が明るい。

ここまでを総合して言えるのは「本をゆっくりと読むことができる飲み屋」ということなんですね。んでね。今日は私は代休だったんですよ。だから、そういうので、今日はこの店でゆっくり本を読むぞ。というね、そういう高揚感を午前中のうちから胸に納めながら、店に向かったんですよ。

「あれ?軒先の提灯点いてなくない??」と思った。この辺りのお店はだいたい月曜が祝日のところが多くて、そんなはずはないってね。信じたかったんですけどね、どう見ても店の前まで行くと「定休日」って札がね…。


仕方がないので同じ通りを逆に歩いて向かったお店。このお店も何度か来たことがあるものの、少し懸念していたことがあって、それは座敷に通されると背もたれがないのでしんどいということなんですね。長期戦に向かない。

そろそろと首を長くして中を覗くと人影が見えなかったので、もしかするとテーブルに案内してもらえるかもしれない。そんな淡い期待を抱きながら入店すると、どうも他には誰もいないようである。そう、わざわざ週ど真ん中の水曜に飲みに来るなどというアホはそうそういないのである。座敷かテーブルどちらでもよいということで4人掛けのテーブルに案内してもらって、座ってビールを頼んでから先日購入した本を開く。


かか

本当に久しぶりに本屋に寄ったときになんとなく目に入ったのが宇佐美りんさんのかか。本屋で立てかけられてるのを見て目が吸い寄せられたというか、そういう感じ。

どうも自分はこういう見た目というかそういう雰囲気で買い物をしてしまう節があるようで、要するに装画に惹かれたわけですね。もちろん帯の推薦文とかは買う前に確認はしましたし、また「宇佐美」という名字の人が職場にいるのでその辺りが頭に浮かんでしまった[1]のが少し気にはなったのですが、本屋をうろうろした挙句、決め手は装画で購入しました。

語り口調のせいか、現代を舞台にしながらも、SNSの描写とか明らかにT〇〇tterなんですけど、なんというかすごく懐かしいにおいが雰囲気が全編にあふれています。まあ、飲み屋が古民家を改装した店というのもあったのかもしれん。

各々の登場人物の一挙手一投足とそこに込められている感情が丁寧に描かれているので、凄く生々しい。生々しいので想像し易くて引き込まれる。自分が以前に小説を読んでいたのはもう中学生くらいまで遡るわけですが、その時に引き込まれる。という体験をしたというのはなんとなく覚えてはいます。それはこの間読んだコンビニ人間のような、次を読みたいと思わせるような引き込まれるというようなものがすべてだったような気がします。たぶん。でもこの作品の引き込まれるはなんというかそういう引き込まれるではなくて、感情移入の延長線上のような感覚で、読んでいてところどころで自分の心拍数が呼吸があがっていくのがわかる。こういうのはこういうのでなかなか経験ができるものではないと思うので、いいなぁと思った。いや、なに食って生活したら20歳でこういう文章書けるんですかね??たぶん自分が人生100週しても書けないと思うんですよ。やっぱり真剣にやってる人凄いなぁっていう感想になるんですね。

読み終えた後に最後の部分(の一部)は蛇足ではないのかと感じたのですが、帯の町田康さんの紹介を読んで必要であったと気付く同時に、なんかこういう他者の解説(ではないのだけれども)によってその作品の解釈のヒントが与えられるのが気にくわないという気持ちと、自分で見つけることができなかった自分の感性の鈍り具合にもう絶望ですよ。

こういうのはいわゆる現代国語のテストの気持ちを考えよみたいなのと同じとまでは言わないけど、まあ、似たようなもんだと思っていて、本に限らず創作系はそういうのを探すというか、何度も読み返したり観たりして落穂拾いみたいなのをするのが醍醐味の一つだと思うんですが、最近はもうそういうのするのがしんどいというのがあって、これももう一度頭から読めば間違いなくそういう楽しみができると思うんですけど、そういう気力がわかないんですね。もうこれあかんですよ。もとをたどれば全部仕事で時間がないせいだと思う。

まあ、つまり今回の記事で言いたいのは、誰もいない飲み屋で本を読むと読書がはかどるし、この本は凄くよかったし、そろそろ人類の労働時間が減らないといけないということなんですね。そういう感じです。おわり。


  1. 別にその人が云々という話ではなくてイメージが引きずられてしまうのが嫌 ↩︎