先日、後輩からカメラを買いたい旨の相談を受けて私は非常にショックを受けました。何がショックだったかというと、大してなにも説明できなかったんですよ。

ミラーレス一眼を購入して一年半「アレ??カメラと写真のことわかってなくね???」思えば買っただけでほとんど写真を撮りに行ってないんですよ。そりゃあ説明できるわけがない。

これが10年前とかだと徹底的に調べ上げて、写真を撮りまくって、アドベなんちゃらとかで編集とかしまくったと思うんですが、なんというか、もうそんなのができない。今やカメラ出すたびに「シャッタースピードどこで変えるんだっけ?露光変えるのどこだっけ??そもそも露光ってなんだっけ???」みたいなよぼよぼおじいちゃん状態になってしまいました。それにカメラ腐らせるのがもったいないのでたまに外に出て撮りに行くとかいう、なんというか半強制感的な動機でお外に出てるんですね。これはアカンですわ…。

これ、別にカメラ・写真に限った話じゃないんですよ。なんというか、他のこともそうです。没頭できない。なぜこうなってしまったのか…。

いろいろ理由はあると思うのですが、まず、体力がありません。隙あらば寝たい。そんな感じです。体力の衰えが顕著です。毎日12時間くらい寝たい。12時間くらい寝たいです。それか睡眠専用の自分がもう一人欲しい。もしくは寝だめしたい。人類はそろそろ寝だめできるように進化してもよいと思います。

続けて気力もありません。30歳を超えてきていろいろな不安があります。年金問題…給料…親の介護の可能性…仕事…健康…孤独…結婚…etcetc これらの不安は30手前くらいから一気に膨れ上がりました。もう毎日が消耗です。人はこういう時、ストロングゼロで誤魔化すのでしょうが、安酒を飲まないと誓っている私はそんなものには頼りません。酒、酒とはよいものを飲まなければなりません。しかし、いよいよ私は健康診断にも引っかかってしまい、酒に逃げることもできない。つまり、これらの問題を誤魔化すこともできないのです。そのため本日はノン・アルコールでお送りしております。

そして、おそらくもっとも大きい理由は汚れてしまったからです。たまに「おおっ!!スゲー!!」とか「やってみたいな」思うこともあるんですけど、そこで「ハイ終わり」なんですね。それで終わり。もう追求する気になれないんです。なんででしょうか。一つは経験によるものが大きいと思います。様々な体験を経て、新しい物事に対する感動が薄れてしまう。経験によってあらかじめ予想がついてしまう。慣れてしまっている。もう一つが情報の多さです。もうね、インターネッツで膨大な情報に接することができるわけです。上を見ればきりがない。情報に振り回されてしまう。アレもある。コレもある。見えない天井を前に諦めてしまうのです。もう現代人の情報疲れですよ。

以前、Twitterで「接する情報が少ない人の方が平穏に生活できるのでは」というツイートを見かけたのですが、その通りだと思います。もうね、しんどいわ~。マジつれえわ…。現実世界でも電車に乗れば人混みに揉まれ、自転車に乗れば無灯火逆走スマホマンに突っ込まれるわ、ネットではいたるところで正論が振りかざされ、よくわかんね~棒で殴り合いが行われ、自己ブランディング(笑)という名のキラキラマウンティング合戦が繰り広げられる。見るだけで疲れる。私は貝になりたい。いや、実際に貝になったら困るんですけどぉ…。

なんかお得意の脱線が始まってしまったのですが、私は以前「老後は田舎で過ごしたい」とか言う人が理解できなかったんですよ。なぜか。田舎はすごく不便です。車がないと生活できない。私はペーパードライバー。電車は来ない。店はない。飲み屋もない。ないないない~なに~もな~い。それが田舎です。ああ、でも虫がいます。家が山の中とかだとGがでまくります。冬以外は鳥とかカエルの鳴き声で朝からうるさいです。なので「田舎で過ごしたい」とかいう人に対して「一度田舎に住んだらそんな気持ちでてこねえよ!!!」と思ってたのですが、最近理解できるような気がしてきました。田舎に住みたいという人はきっと人との関わりに疲れたんだろうなと思います。人と関わらずに土いじりとかやってのんびり過ごす…。なんかいいんじゃないんですかね?いい気がしてきました。ええやん…素敵やん。

でも、ド田舎だとね…医療がね…ここが非常にリスキーですね。これがクリアできるのであればね…私もいつか、極力人の少ないところに住みたいと思います。貝には…なりたくないので極力人と関わらずに生きていきたい…。そんな…おっさんです…。

社会人9年目に突入し人混みに揉まれ、ネットで汚れてしまった私はもはや捨てられたボロボロの子犬のようになってしまったのです。もうね、目を輝かせて走り回ってたあの頃は戻ってこないんだよ…。つらぽよ…。